原始仏教:「自分だけじゃないよね?この苦しすぎる世界から脱出したい。。。」
このカテゴリーの目的
ここでは原始仏教についての記事をまとめています。
原始仏教とはインド古来のブッダが教えていた仏教を指します。
初期仏教やテーラワーダ仏教とも呼ばれています。日本の仏教とは全然違います。
知らない人からしたらなんか胡散臭そうな宗教に聞こえますが、全然違います。というか他の宗教と一つだけ、大きな相違点があります。
神がいない特殊な「宗教」
それは、「神がいない」ことです。ブッダは神ではないです。これを誤解している人が多い。ブッダはただのお金持ちの家に生まれ育った人間です。でも富では全然心が満たされなくて、それを全て捨てて旅に出ます。
もうとにかく普通の「社会」が苦しかった。この「苦しみ」をなんとかしたかった。そしていろんなことに挑戦しているうちに、なんと「解脱」することができた。
要するに「苦しみが全て無くなった」。彼はどうやって苦しみを無くしたか?
苦しみの原因
結局人間が感じている苦しみの根本的理由は:「欲があるから」です。
・欲があるから、それを達成するまでは苦しい
・欲があるから、できない時や何かがもらえない時は苦しみ
・欲があるから、物事が思い通りに行かないと苦しみ。
日常の全ての苦しみ、小さくても大きくても、は「欲があるから」が原因です。だって、欲がなかったら別にどうでもいいと思うからそもそも苦しまない。別に「苦しい」状態が悪いという訳ではないんですが、特に意味もないです。わざわざ苦しむ意味がない。。。
原始仏教は「心のトレーニング」
そして原始仏教はこの人間の「欲」を無くす心理トレーニング法を説いています。(厳密は「無くす」ではないんですが、分かりやすくいうとそういう感じです)
ブッダはこの「苦しみを無くす」方法を弟子に教えました。そしてその教えは経典に保存され、今でも教えられています。特に最近では、インターネットの普及で、自分みたいな奴でも原始仏教について知ることができちゃいましたw。
自分の原始仏教との出会いは小池龍之介の本でした。「考えない練習」というタイトルとカバーが気になり、買って読みました。特に自分はもう「あまりにも考えすぎる」悪い習慣があったので、なんとかしたかった。本当に苦しかった。
そして、「なんか、長年求めていたもの!苦しみが本当に減るかも!」と小さい希望が湧きました。
原始仏教関連の本をたくさん読む
そしてそこからいろんな原始仏教関連の本を読み漁りました。
主に勉強になったのは:
小池龍之介
スマナサーラ長老
プラユキ・ナラテボー
地橋秀雄
特に良かったと思った本:
考えない練習
小池龍之介
超訳 ブッダの言葉
小池龍之介
死後はどうなるの?
スマナサーラ長老
心を清らかにする気づきの瞑想法
スマナサーラ長老
「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語
プラユキ・ナラテボー
自分が一番尊敬しているテーラワーダ仏教の僧侶
ちなみに海外で自分が一番尊敬している僧侶はYuttadhammo Bhikkhuという方です。
この方、ヤバイ。もう智慧のレベルが深すぎる。たぶんもうsotāpanna(一度悟りの領域に足を踏み入れている)に達してるんじゃないかな。。。
自分はどこから始めたのか
最初は軽い瞑想から始めました。いわゆる「五感に集中する」瞑想の方です。でも瞑想についても少しずつ興味がわき、いろんな瞑想について勉強し始めました。そして気になる瞑想に出会う。
ヴィパッサナー瞑想
それがヴィパッサナー瞑想。ブッダ自身が完全な悟りに到達したために利用した瞑想法。「苦しみが一切無い状態、全ての物事の真理が見える状態」
!!!
この状態、良いな。。。もう日常生活があまりにも苦しすぎる。。。ずっと苦しすぎる。。。もう嫌だ。。。
そして自分でもヴィパッサナー瞑想やってみたくなった。完全に家に閉じこもり、1ヶ月間、ヴィパッサナー瞑想をやった。歩く瞑想、座っての瞑想など。
そして。。。悟りへの穴をほんの少しだけ開けてしまった。もちろん悟りからはメチャクチャ遠いですが、ほんの少しだけ「穴」を開けてしまった。
日常生活に戻ったとき、明らかに物事の見方がなんか変わってる。明らかに脳が変わってる。明らかに成長してる。
タイのお寺で本気で修行したい。。。
一時期は、坊主になってタイの国際的な寺で瞑想修行しようかなと(自分はアメリカ育ちなので英語の方が正直楽)本気で考慮してました。
特にプラユキさんという「日本人がタイに言って20年も僧侶をしてる」本について読んだ時、「イケるんじゃね?」と思ってしまいましたwww。
アホすぎるでしょwww。
でも、ネットでいろいろ調べると、「これは相当キツそうだな。。。相当準備しないと絶対続かないな。。。自分の今のレベルでは到底無理」結局、諦めました。
自分は努力は続けるよ
でも、だからと言って「解脱」の夢を諦めたわけではありません。
そうです、自分の最終的で一番の夢は完全な「解脱」です。
たぶんこの人生ではほぼ無理です。
もういろいろ余計な欲求が強すぎる。
でも自分は輪廻転生はあると思うので、「この人生で行けるところまで」頑張ります。そうすれば、次の人生ではより「解脱」に到達しやすい環境に生まれ変わることができます。
スマナサーラ長老が言っているように「決して諦めてはいけない。人間はダメでもともと」。欲を最小限にしつつ、どうしてもキツイ欲求は達成していきます。そしてそれらについて学びます。そして成長していきます。これが自分のコアの「旅」です。
もし同じような境遇にいる人がいれば、一緒に頑張りましょう。。。
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